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四十九日
京都から帰ってきた5月20日は、セナの四十九日にあたる日でした。
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セナの死について・・・・

ご心配をお掛けしているたくさんの方々へ
あの日の朝、何が起きて、どうしてセナが命を落としたのか
ご報告する責任があるような気がして

何度も何度も ログインしては 書こう とチャンレンジしたのですが
結局途中で書けなくなって
ちゃんとした説明をできないまま 時が経ってしまいました。





今更ですが
このブログは 生活の記録のためにつけている意味もあるので
何があったのか 残しておこうと思います。




4月2日土曜の朝
いつものようにセナは私の枕元でニャアニャアと 柔らかい声でしゃべっていました。
前日の飲み会で夜更かしをしていた私は
「もうちょっと寝かせてくれ~ あっち行っててくれ~」とセナを手で払い・・・

セナは諦めて、隣りの部屋へ行きました。
そうこうしているうちに またいつもの2匹でのじゃれ合いが始まり
何やらドタバタと音がしていました。

すると突然、ガシャーンとストーブのロックが解除される音がして
(勢い余った猫らがストーブに体当たりするので、よくあることなのですが・・・・)
直後に
今まで聞いたことのないシャーという威嚇の声が聞こえました。



私の記憶に残っている音の情景はそれだけです。




ストーブのロックが外れる音がした、ことと
どちらかの猫がシャーと言った、こと







その後 部屋が静かになって
「あれ?収まった?」と思った私は布団から出て、隣の部屋の様子を見に行ってみました。

静まり返ったそこには
ストーブの横にグッタリ倒れているセナと
1mほど離れたところに座って じっとセナを見ている みなみがいました。


セナの目は白濁しており
舌は大型犬のようにダラリと横に出ていました

病院に連れて行こうと
小さく痙攣するセナを抱き上げると
全身の力は無く まるでつきたてのお餅のように ダラリとバランスを崩しました



その姿は
もう・・・


私の知っているセナではなかった



かかりつけの病院に着いたときには
もう既に命の炎は燃え尽きていました

診察台にのせ
先生が体のチェックをし
臨終を宣告して
最後の体重を測ってくれました

6.5kg
だってセナは巨猫団のメンバーだもの



先生の診断は
「心臓麻痺です。じゃれあってて、少しビックリしすぎたんだね。」
そして、こう付け加えた



「みなみちゃんが悪いわけじゃないからね」





この言葉は
後々、セナの死を乗り越える私たち(私とみなみ)の関係に
深い意味をもたらしました








生まれた時から ずっとニコイチだった相棒のセナを失ったみなみの方が
私よりも ダメージは大きかったようで
今でも みなみは 朝から晩まで 鳴き続けています
朝は4時に部屋をうろつき ただただ 鳴いて抱っこをせがみます。
私が仕事に行くときも 帰ってきたときも
部屋の中で「どうしてボクを一人にするの!」と私を責めるように喉を絞って 泣き叫びます。
台所に立っても トイレに行っても 洗濯をしに行っても ・・・・です。
みなみのそばを離れると 「一人にしないで!」と絶叫が始まります。

自分の悲しみに暮れてしまうよりも
みなみのために元気にならなくちゃ、と思うことで
私の立ち直りは早かったような気がします。




みなみの心が
「ひとり」の穏やかな生活に慣れるまで
まだまだ しばらくの時間がかかるかも知れませんが
気長に向き合おうと思っています。




はじまったばかりの 私たちの
ふたりぼっち生活を大事にしなくちゃ
と思っています。

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by eco_neko | 2011-05-22 10:32 | 猫といきもの
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